他人と分かり合おうと
自分から働きかけたい時、
あなたはどうしますか?
「お互いの共通点を探す」という方も
多いのではないでしょうか。
確かに、お互いの共通点を
見つけることは、何か擬似的に
共有体験をしたような気になり、
一気に心の距離感が縮まります。
特に、その共通点に希少性が
高い時はこの感覚を強く覚えます。
私は福岡出身なのですが、
電車で博多弁を聞いても何とも思いません。
しかし、東京の地下鉄で博多弁を聞くと、
何となく微笑ましい気分になります。
10年ほど前、出張でメキシコの
地方都市に行った時、
飛行機が遅れてホテルのチェックインが
午前1時くらいになったことがあります。
その時、ロビーに私とホテルの受付以外に、
もう一人だけいた男性がケータイで話す言葉が
博多弁だったのです。
「何で、こげんなっとーとやー?
(何でこんなになってるんだよ・・・。)」
深夜でもあり、疲れてはいたのですが、
綻んだ顔で思わず「日本の方ですか?」
と話しかけてしまっていました。
さらに「九州の方ですか?」と聞くと
「福岡から来ました。(笑)」とのこと。
深夜1時を回っていたし、
お互い明日の朝が早いにもかかわらず、
その後バーで、一緒にビールを飲んで、
交通事情の悪さや、
ホテルのフロントの対応の悪さなど、
お互いが「共通に経験したこと」をネタに
盛り上がってしまいました。
このように、なかなかあり得ないお互いの
共通点や共有体験を見つけると、
一気に親密感が湧きます。
ただ、確かに短期的には共通点から
親密感が湧くのですが、
長期的にはその親密感も
冷めてしまうことが多いように思います。
一方で、共通点を探す前に、
相違点を探すということが長期的な
人間関係においては大事であると
私は考えています。
私はアメリカに数年住んでいたのですが、
最初に仲良くなるのは、
食文化や顔かたち、
ファッションの傾向や経済的環境などが
似通った韓国人や台湾人でした。
一方で、肌の色や目の色が違う人たち・・・
特に、私にはあまり見慣れていなかった
アフリカ系の人々は
仲良くなるのに少し時間がかかりました。
しかし、付き合いが進むにつれ、
多くの共通点が見えてきました。
しかし、それはいたって当たり前のことです。
嬉しい時は喜び、不安な時は元気がなくなり、
美味しいものを食べると笑顔になり、
女の子はオシャレが大好きで、
そして、そんなかわいい女の子を見ると、
総じて男の鼻の下は
長くなるということでした。
もちろん、どうしても生ものは
食べられないこととか、
ファッションセンスや色使いとか、
「美人」の定義などに違いはあります。
しかし、最初は自分と違うところが
目立っていた関係から、
少しずつ共通点が見つかっていく
プロセスにおいては、
相手に共感出来るところが増えていって、
だんだんと好感度が上がっていったのです。
一方で、先述のアジアの友達とは、
仲が良くなって酒を飲むようになり、
本音が出始めると、
お互いの考えている相手に対する
期待交じりのイメージと
現実との乖離を
お互いが知らされる結果となり、
嫌な思いをしたことがありました。
中にはちょっとしたボタンの掛け違いから、
絶交状態になったような人もいます。
(そんな経験がきっかけにもなって、
コミュニケーションの本質を学んで
きたわけなのですが・・・。)
このように自分と相手の共通点だけでなく、
相違点を知っておくことは
人間関係を長く発展させるために
とても重要です。
違いさえ分かっていれば、
相手が異なる考えや意見を
持つであろうポイントが分かります。
その時には事前にお互いの違いを
説明さえすればいいのです。
それは、外国人に限らず、
日本人同士でも同じです。
その際たる例が自分のパートナーでしょう。
愛し合って一緒になり、
相手を分かっているつもり、
相手に分かってもらっているつもりの
期待交じりの誤解が
「日常」という生活の中で
トラブルを招きます。
今、頭の中に浮かんだ「あの人」と
あなたの違いは何でしょうか。
その違いがもし事前に分かっていれば、
あの時のあの「いざこざ」は
なかったのかもしれません。
違いを知り、そして共通点を知れば、
お互いの関係性は長きにわたって
深まっていくはずです。